Oct 8, 2013

【読書】『モモ』


岩波少年文庫。小学5・6年以上向け。メディア論で仲良くしてもらった先生から勧めてもらった一冊。強烈なメッセージ性を帯びた作品で、予想外に楽しませてもらいました。

ファンタジー色の強い作品は、概して「子供向け」なものが多いように思います。最近のものなら、『ハリーポッター』、『ダレンシャン』と世界にファンタジー文学は満ち溢れています。子供を筆頭に人々に夢を魅せるファンタジー文学。

そして、もうひとつファンタジー文学に顕著な特徴があるとすれば、それは、ファンタジーのフィルターを通して現実を風刺する、あるいはなんらかのメッセージを現実に生きる読者に授けようとする、一面ではないでしょうか。『モモ』もあらゆるメッセージを読者に投げかけてきます。

The Passage of Time
「時間を奪われ続ける人間たち」

一言で言うならば、そんな人間たちと少女モモの物語です。「時間」とは一体なんなのか。果たして捉えられるものなのか。「効率の良い生活」とはどんな生活のことをいうのか。「時間」と「幸福」との関係性。そんなことを読みながら考えていました。

「時間を奪うことで生きる灰色の男たち。効率のいい生活を標榜しながらも、知らぬ間に灰色の男たちに時間を奪われていく大人たち。やがて子供たちもそんな極端な効率化の波にのまれていく。そんな彼らを救えるのはモモただひとり。」


効率化の時代と「奪われた時間」
「効率化の時代」なんていったところで、印刷技術に携帯電話と挙げればきりがない上に、今に始まった話ではないのであれなんですが。効率化とはつまり「余暇の捻出」(「洗濯機があるおかげで余暇が増えた」)のことではないでしょうか。それを著者のミヒャエル・エンデは「奪われた時間」といいます。一体どういうことなのか。少し考えてみました。

結論から言えば、効率化に歯止めが利かないのではないか、ということではないかと。

fast food

効率化することで生まれるはずであった余暇。それすらも金銭と引き換えに、さらなる効率化に充てる。作品の中で、いかにもファーストフードを風刺しているシーンがあります。料理の質を落とし、回転率をあげ、売上を上げる。お客は急ぎ足で食べ物を選び、会話もなければ、笑い声も聞こえない。彼らはせわしなく店を後にする。なぜなら彼らも「効率化」の波にのまれているから。人々はさらに余暇を切り崩し、より効率化のための時間を捻出しようとする。モモはそんな様を目撃し、圧倒されます。

時間、そしてモモという少女

モモという少女は孤児で、必然的に貧困を強いられています。ただし、だからこそ彼女は、灰色の男たち、効率化、大人たちから自由でありえるわけです。絶妙な設定というか。全体を通してよくできています。

モモの生きる「時間」と他の人々が生きる「時間」は明らかに別物であり、そこが「時間」のおもしろさというか。享受する人間、あるいは場所によって、存在そのものが異なってくるという。いやーよくできています。ここまでざっと書いてきましたが、まだ消化しきれていないので、もう少し時間をかけて考えてみます。

【独断的評価】★★★★★

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