Oct 15, 2013

ホーチミン放浪記⑤

#④のつづき

少し間があきましたが、ぼちぼち続きを。

12時を過ぎた頃、昼食をとるためにメコン川の間に浮かぶ島のひとつに上陸することに。
5人から6人でひとつのテーブルを囲む。僕と相方はフランス人カップルと台湾人カップルと座ることになった。台湾人の彼氏は、僕らが日本人だとわかると、「"いただきます"だったっけ?」とニコニコしながら話しかけてきた。


そして、メインデシッシュとしてテーブルに並んだのがこの象耳魚(カー・タイ・トゥオン)。箸をつけてはみたものの、強烈な生臭さに耐えられずに断念。ふと横に目をやると、そこにはうまそうに象耳魚を食らう台湾人カップルの姿が。


昼食を終え、再び船に戻る。大きなメコン川の主流から外れ、まるでジャングルのように生い茂る木々の間を進む。ふと、サイパンのマニャガハ島に行った時のことを思い出す。水のきれいさ(ここは茶色く濁っているのに対して、マニャガハの海は透き通っている。)と戦争の残骸の有無(マニャガハには不自然に残る日本軍の戦車がある)を除けば、非常に近い雰囲気がある。

一時的であってもこうやってしがらみから解き放たれ、自然の中に身を置くことで、心が落ち着きを取り戻すような感覚を覚える。ただし、そんな風に思うということは、つまり僕が都会に生まれ育ったからであって、もしこのメコン川に浮かぶ島のひとつに生を授かっていたら、果たして今、ここで、僕は何を思うのだろうか。

29/52 choice paralysis

意図的、無意識的にを問わず(そもそも僕たちに能動的に選択する権利すらない場合の方が多い)、僕らは何かを選択し、同時に何かを手放している。

何かを手に入れるには何かを手放す必要がある。

誰かのとなりに腰を下ろすということはその他の人間のとなりには座らないということ。今、ここに居るということは今、他の場所に居ないということ。

そんなことをぼんやり考えていたら、船は僕らが船に乗り込んだ場所に戻っていた。陸に上がった瞬間に東南アジア特有のスコールにみまわれた。駆け足でツアーバスに乗り込む。メコン川クルージングも終りを迎えようとしていた。


音楽に想いを馳せる

Music in motion and stillness
多くの人にとって、人生のある一地点を過ぎるまでは音楽の趣向は程度の差こそあるにしても変遷していくものなのだと思う。

ふとした瞬間に以前好んで聴いていた音楽と再会することがある。そんなときに当時の想いたちが私たちに帰ってくることがある。言葉では言い表せないような、ある種の重さを伴ったものから、胸がほっこりするような温かいものまで。そんな経験を幾度となく繰り返すうちに、改めて心に残る音楽とは、作品自体の素晴らしさだけではなく、そこに付随した私たちの想いが私たちを離さない、そういった種類のものなのではないかと思わずにはいられない。

それは言葉によるフラッシュバックとはまた違う、私たちに選択の余地を与えない類いのものな気がする。それが音楽の素晴らしさであり、同時に残酷なところでもあるのではないか、と。

music
(Aldous Huxley)

Oct 8, 2013

【読書】『モモ』


岩波少年文庫。小学5・6年以上向け。メディア論で仲良くしてもらった先生から勧めてもらった一冊。強烈なメッセージ性を帯びた作品で、予想外に楽しませてもらいました。

ファンタジー色の強い作品は、概して「子供向け」なものが多いように思います。最近のものなら、『ハリーポッター』、『ダレンシャン』と世界にファンタジー文学は満ち溢れています。子供を筆頭に人々に夢を魅せるファンタジー文学。

そして、もうひとつファンタジー文学に顕著な特徴があるとすれば、それは、ファンタジーのフィルターを通して現実を風刺する、あるいはなんらかのメッセージを現実に生きる読者に授けようとする、一面ではないでしょうか。『モモ』もあらゆるメッセージを読者に投げかけてきます。

The Passage of Time
「時間を奪われ続ける人間たち」

一言で言うならば、そんな人間たちと少女モモの物語です。「時間」とは一体なんなのか。果たして捉えられるものなのか。「効率の良い生活」とはどんな生活のことをいうのか。「時間」と「幸福」との関係性。そんなことを読みながら考えていました。

「時間を奪うことで生きる灰色の男たち。効率のいい生活を標榜しながらも、知らぬ間に灰色の男たちに時間を奪われていく大人たち。やがて子供たちもそんな極端な効率化の波にのまれていく。そんな彼らを救えるのはモモただひとり。」


効率化の時代と「奪われた時間」
「効率化の時代」なんていったところで、印刷技術に携帯電話と挙げればきりがない上に、今に始まった話ではないのであれなんですが。効率化とはつまり「余暇の捻出」(「洗濯機があるおかげで余暇が増えた」)のことではないでしょうか。それを著者のミヒャエル・エンデは「奪われた時間」といいます。一体どういうことなのか。少し考えてみました。

結論から言えば、効率化に歯止めが利かないのではないか、ということではないかと。

fast food

効率化することで生まれるはずであった余暇。それすらも金銭と引き換えに、さらなる効率化に充てる。作品の中で、いかにもファーストフードを風刺しているシーンがあります。料理の質を落とし、回転率をあげ、売上を上げる。お客は急ぎ足で食べ物を選び、会話もなければ、笑い声も聞こえない。彼らはせわしなく店を後にする。なぜなら彼らも「効率化」の波にのまれているから。人々はさらに余暇を切り崩し、より効率化のための時間を捻出しようとする。モモはそんな様を目撃し、圧倒されます。

時間、そしてモモという少女

モモという少女は孤児で、必然的に貧困を強いられています。ただし、だからこそ彼女は、灰色の男たち、効率化、大人たちから自由でありえるわけです。絶妙な設定というか。全体を通してよくできています。

モモの生きる「時間」と他の人々が生きる「時間」は明らかに別物であり、そこが「時間」のおもしろさというか。享受する人間、あるいは場所によって、存在そのものが異なってくるという。いやーよくできています。ここまでざっと書いてきましたが、まだ消化しきれていないので、もう少し時間をかけて考えてみます。

【独断的評価】★★★★★

Oct 7, 2013

【ゲーム】ジョジョの奇妙な冒険オールスターバトル



例の悪名高いジョジョゲーですね。このゲーム、発売当初からいろいろ(主にマイナスな内容)言われ続けてます。そんな、この「ジョジョの奇妙な冒険オールスターバトル(ASB)」を最近はちょくちょくやってます。記憶が正しければ、がっつり格ゲーをプレーはSFCのストファイ以来という完全な格ゲー初心者です。なので、初心者目線でその辺を中心に遊んでみた感想を。


コンピューターが弱い
格ゲー上級者にとっては否定のしようがないんじゃないでしょうか。しかし、僕なんかはオプションでCOMの強さを最高レベルにしたところ適度なレベルに落ち着きました。だいぶ鍛えられてます。

キャンペーンモードの課金制度
(アップデートを経ての)現在の状況について言えば、課金云々だけではなく、未だに完全に作業ゲーです。結論を言えば、個人的には快適に遊べてます。「エネルギーがなくなった→課金はあり得ないので待たなくてはいけない」なんて状況には陥ったことないです。自動回復が十分な速度なので、プレイに支障はでていないです。次に作業ゲーであることについては、格ゲー上級者の方々にとっては「雑魚コンピューター相手の無駄なバトル」なんでしょう。これが初心者にとっては、案外修行になってます。(ヴィジョンがおそろしく強いときがあるのでそれなんか特に鍛錬の機会になってます)

ステージの少なさ
これに関しては、僕の中に比べる材料がないので何とも言えないというのが正直なところ。しかし、普通に遊んでいて、ステージが少ないな、と思うようなことはなかったです。むしろ、ネットでの批判を目にするまでは結構ステージが多いな、といった印象を持ってました。

キャラクターのDLC
DLCはあくまでプラスアルファな感じがするので(メインキャラクターは普通に使える)、仕方ないんじゃないでしょうか。課金してまで使いたいキャラクターがいないのもありますね。

ジョジョの奇妙な冒険

いろいろ言われているのは、やっぱり発売前の情報からイメージされていたモノと実物がだいぶ異なっていたところが大きいのかなと。もちろんダメな点もありますが。僕の場合は、発売前のリサーチもしてなかったです。さらに自分で買ったわけじゃないので(弟が購入)、言ってみれば、無料で遊んでます。そんなこともあり、ダメな点にはあまり目がいかないのかなと思います。

総評としては、なかなか楽しんでプレイできてます。ASBのおかげで格闘ゲームの奥深さ/おもしろさに目覚められたのもおおきいです。これに関しては、@masamisceさんのおかげでもあります。ASBではだいぶシゴかれてます。もはや彼は僕の格ゲーの師です。笑

まだまだ飽きはきていないので、もうしばらくは卒論の合間を縫ってプレイしていくと思います。

【独断的評価】★★★☆☆

Sep 29, 2013

【映画】CHRONICLE



誰でも1000円で鑑賞できる! オトクロニクルキャンペーンがやってクル!!


低予算というかB級臭が相当漂っている予告に加えての超能力ネタがたまらずに劇場へ。中へ入ってみると、予想以上にお客さんが入っていておどろきました。


予告編をみた段階では、いじめられっ子、超能力、ド派手なCG、最終的にみんなのヒーロー展開なのかな、と多少の不安を感じてたり。しかし、結論から言うと、予想以上におもしろかった。とりあえず「能力」を授かり、そこから「心に闇を抱えたみんなのヒーロー」的な展開にならなかっただけでも観る価値はあるかなと思います。

ストーリーには関係ないですが、ちょくちょく出てくるアメリカの高校の様子にかなり見入ってしまった。いわゆるハイスクールカーストがだいぶリアルに描かれていました。一見すると、チープ感だけが残りがちですが、イジメられっ子の手にするカメラのレンズを通して覗くというのが予想以上にリアルだった。

ハイスクール描写はもちろんのこと、要所要所で登場人物らがやる「力」を使った悪ふざけもリアルです。仮に「力」を授かったとしたら、誰もがやるだろうな、を見事にやってのけます。

全体に漂う「チープ感」がいい方向に作用してる作品でした。Sci-Fiに抵抗がない方は劇場に足を運べば楽しめるかなと思います。

【完全主観的評価】★★★☆☆

Sep 18, 2013

ホーチミン放浪記④

#③のつづき


“I was lucky,” Mom said. “Your dad and I have been happy. But it hasn’t always been easy. One time I thought I was leaving him.”
“Really?”
“We were human.”―Bright Lights, Big City

揺れ動く意識。そんな言い方をすれば、なんとも若者的な在り方が浮かんでくる。村上春樹の小説の登場人物たちのような。仮に意識や自由意思といったモノが私たちを突き動かしているのであれば、(「選択するふり」をする僕たち)それらのなんだかよくわからないモノは常に揺れ動いているはずだ、とも思う。若者に限らずに。

基本的にわかりあえないのだと思う。だからわたしたちは言葉を尽くす。「よくわからないわたしたちを突き動かしているモノ」を伝えようとあがく。その行為は会話となり、小説となり、音楽となる。ときとしてそういった形を得た想いたちはわたしたちを動かす。

Stick figure with guitar

打算的にならずに初期衝動に身体をまかせてみる。そうすることでしか見えてこない、聞こえてこない、触れることのできないモノに寄り添う。
「無駄」に可能性を見出してしまう。すがりついてしまう。あまりの「潔癖」は耐え難い。「ホーチミン放浪記③」


今回のベトナム放浪に目的があるとすれば、メコン川をこの目に収めることである。そんなこともあり、Shinh Touristに出会えたことには感謝している。

当然ながら、日本語のツアーは英語のツアーに比べて割高なものである。下手をすれば、5倍なんてことも稀じゃないので。メコン川英語ツアーをひたすら探し歩いていた。


そしてみつけたのが、このShinh Tourist。メコン川一日ツアーがひとり約1000円という驚きの破格。(↑は相方と一緒の二人分。)

午前8時に集合し、バスに2時間揺られ、メコン川に向かう。参加者は20人ぐらいだろうか。ドイツ人の若者4人グループ、フランス人のカップル、韓国人ギャル集団5~6人、現地人老夫婦、中国人カップル、日本人バックパッカーと思しき青年、日本人と思しきオバさん、そして僕ら二人。


巨大さが恐ろしい。そんなことをまず思う。夜の海の恐ろしさと似ている。一方の岸から反対側までに二つの島があり、そこでは人々が暮らしているという大きさ。あまりにでかい。

ガイド曰く、「雨季なので水が濁っている」のだそうだ。時折、香ってくるアンモニア臭に加えて、この濁り具合。人が暮らしているんだな、と思う。


ゆったりと進む船に揺られながら、ぼんやりと土色に濁った水をながめる。

#⑤につづく

Sep 13, 2013

ホーチミン放浪記③

#②のつづき

ゆったりと流れる時間を肌で感じながら、熱気のする方へ向かう。クラクションを耳にしながらふらりふらりとバイクの間を行く。路上ではプラスチックの椅子に腰をかけたオバチャンがすかさず「タバコ?アメリカの?ベトナムの?」と声をかけてくる。

アタッシュケースに並べられた色とりどりのタバコたち。


大体の通りには等間隔でタバコ売りが腰をおろしていることに気づく。基本的に、“How much?”以外の英語は理解してもらえない。値段交渉は電卓使用。東南アジア流というかなんというか。



しばらくさまよい歩き、熱気の中心を発見する。ベンタイン市場(Ben Thanh Market)に辿り着く。


無数に入り組んだ狭い通路は人でごった返している。とにかく暑い。香りも特有のものがある。珈琲豆に始まり、得体の知れない香辛料の香りが鼻をつく。嫌いじゃない。

時間は心地よくゆるやかに流れている。東京に暮らしていると、どうしても時間は走り去る。すし詰め状態の駅、通り、電車内、喫茶店。まるでなにかに追われるかのように流れていく時間。

John Mayerの“Gravity”が脳内で流れる。
Oh, gravity is working against me.
And gravity wants to bring me down.

腰をおろし、タバコに火をつけ、あたりを眺める。
今回の放浪に出る前に、「なにをしにベトナムに行くの?」、「東南アジアに行く理由は?」といった類の質問を何度か投げかけられたことを思い出す。いわゆる「自分探し」の類に嫌気がさしているとでも言いたげに。「目先の利益が期待できるわけでもないのになぜ?」と。

「無駄」に可能性を見出してしまう。すがりついてしまう。あまりの「潔癖」は耐え難い。

「利益」という言葉も疑わしい。ひとつの行動が利益(Profit)をもたらしたのかどうかの判断は、つまるところ、振り返る(Looking back)ことでしか確認しえない。僕には無駄かどうかの判断ができない。

再び歩き出す。

#④につづく

Sep 7, 2013

ホーチミン放浪記②

「ホーチミン放浪記①」のつづき


空港からホーチミン市街に向かう車内でなんとなく感じていたバイクの多さ。時間が時間なこともあり(街が賑やかになる午後10時前後)さほど気にも留めずに就寝。朝日が昇り、「コーヒーでも飲もうか」とぼんやり考えながらホテルを後にする。


ベトナム人の朝は早いという。午前7時とは思えないさわがしさ。道路を埋め尽くすバイカー達。信号はちらほらと目にはつくものの、機能しているとは言い難い。絶え間なく鳴り響くクラクション、バイクのエンジン音、すべてをつつみこむ熱気。思わず圧倒された。当然のことながら道路を横断(Crossing street)しないわけにもいかない。


とりあえず腰を下ろし、煙草に火をつける。

「ベトナムではな、免許なくてもバイク乗れるんだよ。だからみんな原付に乗るんだ。警察に止められたときに金を払えばいいんだ。観光客は心配しなくてもいいんだ。こっちの警察は英語しゃべれねーから、観光客には手出ししない。」

後に仲良くなったベトナム人がそんなことを口にしていた。タイでも警察の話は聞いたなと、ふと思い出す。陽気な現地の若者がマリファナ(Marijuana)を「秘密裏に売ってやるよ」と声をかけ、ついていくと警察が現れ、罰金というようなことが頻繁にあるという話。そういった若者たちは警察から金を受け取り、グルとなって主にアメリカの軍人たちをカモにするんだそうだ。

Heavy Crossing

しばらくのあいだ道路を行き交う人々を眺めてから腰を上げる。依然として渡れる気はしない。
結局慣れるのにこの日一日を費やした。コツは、とりあえず走らないでゆっくりと進むこと。クラクションはガンガンなります(危険云々というよりも、「こっちから車が来ますよ」というメッセージとして)。あまり気にしないで、一台ずつゆっくりとかわしていく。あとは慣れればなんとなくできるはず。

日本に帰ってきてから1~2日の間は、ホーチミンのノリで道路を渡りそうになる自分がいた。乗り物(Vehicles)の出している速度が全く異なる(ベトナムは結構ゆっくり)ので、気をつけないと、死んでいたな、と。

#③につづく

Sep 6, 2013

ホーチミン放浪記①

2週間ベトナムのホーチミンシティ(Ho Chi Minh City)を彷徨ってきました。備忘録も兼ねながら、いろいろと書いていこうかと思います。


ホーチミンシティ(Ho Chi Minh City)といえば、元々はサイゴン(Saigon)の名で知られるベトナムの中心都市です。他にもハノイ(Hanoi)なんかもよく知られてますよね。

今回の旅に目的があったわけではないです。あえて言うならば、メコン川(Mekong River)を目に焼き付けておきたいなと。そのために手っ取り早いのは、メコン川クルージングです。ホーチミンには驚くほどの低価格ながら、内容が詰まったメコン川クルージングツアーがあるので。それについては後々書いていきます。

もうひとつ挙げるなら、ベトナムコーヒーですね。本当にそんな感じで、特に何か目的があったわけではなかったです。

午前9時過ぎ成田発のフライト。直行便ではなく、成田―台北―ホーチミンという乗り継ぎありのルート。


日も暮れかかった頃にベトナムの地に降り立つ。市街地に辿り着き、まず驚いたのが、街並みのへんちくりんさ。東南アジア的な雑多な町並みが続いたかと思うと、フランス植民地時代の情緒を残した建物があったり、東京に負けず劣らずな高層ビルが立っていたりと、自分がどこにいるのかわからなくなるような感覚に陥りました。


東南アジアと言えば、僕の中ではタイなので(個人的に毎年のように足を運んでいた時期があったので)、タイとならある程度比べられるかなと。たとえば、バイクタクシーやマッサージの勧誘に関して言えば、タイのほうが積極的にガンガンくるような印象を受けました。ベトナムの場合は、「No」の意志を伝えると、引き下がってくれることが多かったです。もちろん例外はありましたが。


#②につづく

Aug 23, 2013

J-pop in the 90s

Karaoke with @masamisce and Meg last night. We somehow ended up picking songs mainly from the 90s.







Jun 6, 2013

近況報告

声に耳をすませ、脳内で反芻する。想いを汲み取ろうとしてみる。

自然と余計な声を遮断しようとしている自分がいる。今の僕には、どうしても聞こえてくる声すべてに耳をすませ、それらに潜む想いを汲み取ることができない。受け流せればよかった。それもできないので、一時的にTwitter、Facebook、そもそものところでiPhoneから離れています。

上記の「溢れる声、そして消化不良」というエントリーでも書いたように、少し前から「消化不良」気味でした。そんな経緯があって今のような生活に落ち着いてるわけなんですが、自分でも何が起こっているのかよくわからないところがあります。ですが、なんかできそうなんで、もうすこしこのままでいようと思います。

あの人、この人へ
・卒論は順調です。御心配ありがとうございます。
・月曜日、火曜日の午後は基本的に働いてます。ですので、電話もLINEも返せません。
SUNDAYもぼちぼちやっていきます。
・暑くなってきたら、前々から考えていたベトナムに行ってきます。

行き場を失くした声―その1―

最近は、意識的に聞こえてくる声に耳を傾けています。印象的だったものをいくつかここにあげておこうと思います。形になる前の生の声を。

Stress

「たぶんこんなアタシも働くんだろうな、って思う。ある程度かっこよくて、真面目に働いてくれる彼氏をつくって、ある程度お金をかけて結婚式をあげんの。高校時代の友達を何人か、あとは今のクラスの子でもよんでさ。それで、年の割にはカワイイ奥さんになる。そんなこといってらんないんだろーな、とは思ってる。アタシも就活して、旅行会社にでも勤めるんだろーな、って。でも、なんかしっくりこないんだよね。」

「学生は悪くないでしょ。彼らも大変だよ。もう40だからなんとなくなんだけど、わかる。」

「はっきり言って、これからのこととか考えてない。とりあえず就職はしとかないとって思ってるから、ってだけ。親も心配するだろうし。なんとか内定はもらえたし、卒業まで遊べるだけ遊びたいな。働きだしたら時間取れないだろうし。」

「院に行きたいんだ、なんて言ってくる子がこの時期になると毎年何人かいるんだけど、よっぽどのことがない限りは、やめときなさい、って言うようにしてるのよ。アタシも子を持つ親だから、自分の子どもが人文系の大学院に行きたいなんて言ってきたら、親がどんな風に思うか考えちゃうのよ。才能を摘んでるのかもしれないけど、人生を棒に振るかもしれないのよ。アタシらの頃とは、やっぱり時代がちがうわよ。」

「就活ねぇ(遠くを見ながら)、とりあえず今はしない。というか、そんなこと考える余裕がない。学問を楽しもうと思ったらさ、ある程度の基礎が必要だと思うんだ。最近やっと学問がおもしろいなぁって思えるようになってきたとこ。だからまだ働くとか、考えられないってのが正直なところ。」

「自分のことでいっぱいいっぱいだよ。もちろん授業はしっかりやるよ。でも、学生ひとりひとりの卒業後の進路のことなんかかまってやれない。」

「夢なんて持ったことないよ。オレみたいなヤツばっかだと思う。若いから何でもできるのかもしれないけど、なんもしたくないんだよね。でっかいキャンパスがあっても、絵の具がなけりゃなんもないのと同じだよ。とりあえず最低限暮らせるようにはなりたい。」

Jun 2, 2013

【読書】『桐島、部活やめるってよ』



チャットモンチーと『ジョゼと虎と魚たち』
引用が所々にあった。チャットモンチー、aiko、大塚愛、『ジョゼと虎と魚たち』。チャットモンチーの作品の持つ世界観、あるいは『ジョゼと虎と魚たち』の有するそれ。どれも僕には身近なものではなかったです。しかし、それは高校生っぽかったわけで。チャットモンチーも聴かないし、『ジョゼと虎と魚たち』も観ていない。僕はもう高校生ではないんです。だからこそ、そんな固有名詞たちが「高校生っぽい」と感じたのかもしれません。

世界としての学校
中学生、高校生の頃、「学校」は世界である。外に向いていく想いはその世界から抜け出すことを許さない。

「椅子を蹴り倒し席を立てる日を日を日を日を日を願ってた」(鬼束ちひろ『シャイン』)

鬼束ちひろはそんな風に歌う。学校という世界から抜け出すことを願うのは、そこから容易には抜け出せないからではないでしょうか。しかし、そんな「世界」もいずれは終わりを迎える。あると思っていた鎖が存在していないことを知る日が来る。抜け出すことを願うものがいれば、終わりを告げようとする「世界」に不安を覚える者もいるんでしょう。そういう感じがいい具合に描かれているのではないかと。僕なんかは、その感じが読んでいて最も楽しかった。

さいごに
少し前に映画化されてましたよね。

なんだか評判が良い様子なので、そっちもそのうちみようかと思ってます。でも、この予告編を見る限りは、原作とは別物なんですかね。そんなところも楽しみにしながら、近いうちにでも。


偏見に満ちた評価:★★★☆☆


Jun 1, 2013

溢れる声、そして消化不良


そんなことを感じてしまう。なんとなく辛いといった感じ。

Information Overkill...
溢れる情報。容易に届けることができるようになった声。役に立つ、背中を押してくれるような、そんな類いのものばかりではなく、伝染する憂鬱、傷のつけ合いの類も少なくはない。消化しきれない情報によって陥る消化不良。だからといって声を遮断することはむずかしい。どうにかして対処する必要があると思う。

writing in her journal
僕は、「書く」ことで「吐く」。今までよりも少しだけ聞こえてくる声から距離をとる。そして、残った声たちに想いを馳せる。ブログであったり、手書きであったりを通して。それは、あくまでひとつの方法であって、正解であるかはちょっとよくわからない。少なくとも、多少なりとも気は楽になったりもする。そんな気がする。

May 22, 2013

【映画】『SMOKE』



監督はウェイン・ワン。原作はポール・オースターの書き下ろし。
疑う余地のない大好きな一本。かなりざっくりとあらすじを書けば、煙草屋のオヤジと妻を亡くした物書きのオヤジを中心に流れる物語。

「良い映画とはなにか?」と考えたときに、僕に言わせれば、「たいした展開はないが、何度も見返したくなる一本」みたいな感じかと。この作品もそんな作品のひとつです。

ひとつの仕草、言葉、表情、風景。そんなさりげない要素に映しだされる魅力。ジワジワくる感じがたまらないのです。細かい振る舞いなので、見返せば見返すほどに新発見があるし、毎回少し違った意味でほっこりもするんだと思います。

Smoke
この映画について語るのであれば、「煙草」は無視するわけにはいきません。登場するオッサンたちは「煙草」ばっか吸ってます。終始プッカプカしてます。昨今の煙草事情からすれば、もう救いようのないダメなオヤジたちなわけです。しかし、そんな風に切り捨てられないほどに愛すべきオヤジたちなんです。困ったっことに。

エンディングは、これも大好きトム・ウェイツの"Innocent When You Dream"


素晴らしい作品だと思ってます。
あと、ひとこと言わせてもらえるのなら、「ポール・ベンジャミン」という名前にはオースターファンとして、毎回ニヤッとさせられます。

偏見に満ちた評価:★★★★★



May 19, 2013

【映画】『The Blues Brothers』



あらすじ:刑期を終えて出所したジェイク。弟のエルウッドと共に彼を育ててくれた孤児院の存続の危機を救うために彼らのバンドを復活させようと思い立つ。

小学生のころ、大好きだった映画。なぜかこの映画後半のカーアクションに夢中でした。見返してみて、思ったのは、いい映画だなと。音楽好きとしては、レイ・チャールズを筆頭にジェームズ・ブラウン、アレサ・フランクリン、あのスティーブ・クロッパー、ドナルド・ダック・ダンなどの有名どころのミュージシャンたちが出演してるので、もうそれだけで見る価値があるなぁと。
Blues Brothers in Florida
ストーリーもおもろくて、ネオナチ、レッドネック、ジェイクの命を狙う謎の女性などのトンチンカンなキャラクター達がみせる"ブルースブラザーズ"との絡みは笑えます。ブルースブラザースのファッションもいいですよね。往年のブルースマンに対するオマージュなのであろう、黒のスーツに黒いサングラス。主人公たちのダメさも、彼らをいい感じに魅力的に映してます。スピード違反を無視してのカーチェイス。モールをボッコボコにしてます。最悪な奴らなのになんとも魅力的なわけです。
The Blues Brothers

というか、この映画1980年の公開なんですね。知らなかったです。意外と古いんですね。個人的には90年代あたりかなと思ってました。たまげた。

ちなみにこの方々、もともとがバンドスタートなのもあり、ブルースブラザーズとしてCDもだしてます。なかなかかっこいいですよ。


偏見に満ちた評価:★★★★★



【映画】『パッチギ!LOVE&PEACE』



あの『パッチギ!』の続編。
『パッチギ!』


「パッチギ」の意味は「突き破る、乗り越える」または「頭突き」だそうです。

一作目の『パッチギ!』は前に見てました。そちらは恋愛がメインのシナリオ。ロミオとジュリエット的な作品だったように記憶してます。一作目は好きな作品のひとつなので、今回の『パッチギ!LOVE&PEACE』は期待しながらレンタル。

あらすじ:『パッチギ!』が1968年京都だったのに対して、『パッチギ!LOVE&PEACE』の舞台はそれから5年後。70年代の東京。主人公一家の話と同時進行的に主人公の父親の話も展開していきます。

結論から言えば、一作目のほうが僕は好きです。二作目は、お涙頂戴的な感じがあらゆるシーンから香ってきました。そんなところがどうもダメでした。一作目では、メインのシナリオはもちろんのこと、乱闘シーンに始まり、大満足のキャラの濃さ、高校生ヤンキー役のケンコバに笑い、ヒッピーに扮するオダギリジョーに「おっ」としました。やっぱり続編ってのは大変なんでしょう。一作目が偉大であればあるほどに、ハードルはあがってしまうんでしょう。


偏見に満ちた評価:★★☆☆☆



May 17, 2013

【映画】『Argo』



1979年のイランアメリカ大使館人質事件を題材にした映画。第85回アカデミー賞にて作品賞、脚色賞、編集賞を受賞。

あらすじ:
イラン革命の最中のイラン。過激派に襲撃されるイランのアメリカ大使館。50名を超えるアメリカ人が人質にとられるという事態の中、6人の外交官は脱出に成功する。カナダ大使館に匿われるが、発見されるのは時間の問題。見つかれば、死。彼らを救うために奮闘するCIA工作員。


“Truth is stranger than fiction.”
そんな言葉もありますが、この作品にも同様のことが言えるのかなと。半端なフィクションよりもずっとぶっとんだノンフィクションでした。もうホントに目が離せないレベル。
実際のアルゴ作戦についてはこちら参照。

この作品に関してはこんな記事が少し前にあがってましたよね。
アカデミー賞『アルゴ』にイランが激怒


偏見に満ちた評価:★★★★★


May 16, 2013

「選択するふり」をする僕たち


自由意志というものなど存在しないのかも、と。そんなことを少し前から感じることがあります。
『1Q84』で青豆というキャラクターがこんなことを口にします。
「でもね、メニューにせよ男にせよ、ほかの何にせよ、私たちは自分で選んでいるような気になっているけど、実は何も選んでいないのかもしれない。それは最初からあらかじめ決まっていることで、ただ選んでいるふりをしているだけかもしれない。自由意志なんて、ただの思い込みかもしれない。ときどきそう思うよ」
Born
僕たち、人間は始まりから受動的存在。生まれようとして、この世に生を授かる人はいないですよね。知らぬ間に、この世に転がり込んでくる僕たち。母語の選択もできずに。なんだか知らぬうちに言葉を口にしているといった具合。そして、気づけば「選択しているふり」をするようになると。

村上春樹つながりでいけば、去年のエルサレムでの受賞スピーチで、彼はこんなことを言っていました。

“Think of it this way. Each of us is, more or less, an egg. Each of us is a unique, irreplaceable soul enclosed in a fragile shell. This is true of me, and it is true of each of you. And each of us, to a greater or lesser degree, is confronting a high, solid wall. The wall has a name: It is The System. The System is supposed to protect us, but sometimes it takes on a life of its own, and then it begins to kill us and cause us to kill others - coldly, efficiently, systematically.” (http://www.salon.com/2009/02/20/haruki_murakami/)
 しかし、それだけではありません。もっと深い意味があります。こう考えてください。私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。
http://ameblo.jp/nattidread/entry-11346558241.html
29/52 choice paralysis
人生は選択の連続です。今夜の夕食の献立、どのテレビ番組を見るのか、どの学校を受験するのか、どの職業に就くのか、電車に乗るのか、歩くのか。それは、選択に埋もれている僕たちなのかもしれません。そこに在るのは、村上春樹の言うところの「システム」であって、社会であって、周囲の人間であって、と自らの選択に影響を与えてくるモノたち。あるいは、見方次第では、そういった介入に、僕らは救われているともいえるかもしれません。

それが良いことなのか悪いことなのかはわかりませんが、少なくとも完全に自由なる意志は、おそらく存在などしていなくて、代わりに存在しているのが、「選択しているふり」をする僕たちなのではないでしょうか。

May 12, 2013

【読書】『韓国天才少年の数奇な半生』



天才、あるいは神童と呼ばれる人は、変わった人生を歩みがちです。キム・ウンヨンも例外ではないようです。そんなキム・ウンヨン氏を追いかけ続けたフリーランスライターの大橋義輝による一冊。

キム・ウンヨンという少年
僕はキム・ウンヨンという人間のことを知りませんでした。『韓国天才少年の数奇な半生』によると、
・2000年に1人のIQを持つ天才。
・1歳にして漢字を操る。
・3歳にして『星にきいてごらん』という書籍を出版。
・3歳にしてIQ測定不能のためにIQ210となる。(81年版から謎の削除をされるまでギネス記録)
・4歳にして日本のテレビ番組で、東大生ふたりを数学で負かす。
すさまじい。まさしく神童としか言いようがない。当然の如く、マスコミの標的になったそうです。しかし、あるとき、忽然とメディア上から姿を消してしまったキム・ウンヨン少年。


天才と教育

『韓国天才少年の数奇な半生』ではキム・ウンヨン氏に関することだけではなく、数多の智の巨人達についても触れています。そして、彼らのうけた教育についても。そんな脱線話もおもしろかったです。

神童/天才と教育といえば、ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』が浮かんできます。

村一番の神童ハンス・ギーベンラートが「車輪(社会制度)」に押しつぶされていく様を描いた作品。ハンス少年は幼いころから、勉学に励み、神童と言われるようになります。しかし、すばらしい友人との出会いなどを通じて、あるいは神童教育の反動からか、徐々にエリートコースを脱線していきます。

MASS EDUCATION.

幼いころから詰め込むことによる反動。神童教育にはそういったマイナス面が存在しているはずです。二十歳を過ぎればなんちゃらという言葉もあるように。そういった「教育」により潰されてしまった子どもたち。だからといって、読み聞かせも何もしない放任主義がいいのかといわれれば、必ずしもそうだとは言い切れないのかと。やっぱり、その子に適した教育方針を模索してあげるのが最適な教育なのではないかと思います。決して簡単ではないですが。そんなことを考えていると、子育てって相当大変なことだなと。

さいごに
良く言えば、サラッと読めます。僕も2時間程で読み終えました。もちろん十分に楽しませてもらいました。しかし、苦言を呈すれば、帯には「天才とは、教育とは、親子関係とは」と謳っているのに、そこまでこちらに訴えかけてくるほどのものでもなかったのかな、と。


偏見に満ちた評価:★★★☆☆


【読書】『ベロニカは死ぬことにした』



おもしろい作品というものは、一体どこに潜んでいるのかわからないものです。たまたま家の本棚に眠っていたところを僕に発掘されたこの『ベロニカは死ぬことにした』も例外ではなかったです。なんとなく手に取り、読み始めたはずが、一気に引き込まれていました。

あらすじ:
ベロニカという美しい少女の物語。誰もが羨むような人生を送っていたはずの彼女。しかし、人の問題というのは外からみえるものばかりではない。彼女の場合も然り。ある日、自殺を図るベロニカ。そこから物語が幕を開ける。


僕が大好きな坂口安吾は『堕落論』のなかでこんなことを言っています。
「二十の処女をわざわざ六十の老醜の姿の上で常に見つめなければならぬのか。これは私には分からない。私は二十の美女を好む」


『ベロニカは死ぬことにした』もそんな想いから始まります。坂口安吾に負けず劣らず「中二臭」がプンプンします。中二病をこじらせている身としては、かなり楽しめました。

偏見に満ちた評価:★★★★☆



May 2, 2013

白か黒か


大人なのか。子供なのか。オタクなのか。中二病なのか。ノマドなのか。暇人なのか。好きなのか。嫌いなのか。真面目なのか。不真面目なのか。

世界はどうにも二極化しがちだ。そうすることで人間というものを「わかろう」としている、僕たち。ただし、本当のところ、そんな風にシンプルにはカテゴライズできるようなものではなくて。そんなことをわかっているから、その狭間で見失う。グレーゾーンに漂う、僕たち。

わからないからこそ、わかろうとする。そもそものところで、わかるはずのないものをわかろうともがいている。そんな様が、歯痒くも、美しい。

ここ何日か、暗くなるとジンを独りでちびちびやっている。煙草も吸う。グレーゾーンから抜け出せる気はしない。


Apr 29, 2013

【読書】『東京喰種』


石田スイ『東京喰種』

正直、最初は単なる暴力的描写だけの普通の漫画かと思ったので、なんとなくさらーっと読もうかなと手に取ったら結構なアタリでした。

人間と普段は人の姿をした食人生物。どちらにもなれない者であり、その間にかかる橋でもある主人公、カネキ。彼と彼の葛藤を中心にしながら、それぞれの側の葛藤がうまく描かれてます。
『寄生獣』大好きなんですが、設定的には似ているのかなという印象。最初の数巻では海外文学からの引用もチラホラ。そんなところも好みです。

「残虐性」というのもキーワードかな、と。生きるために食すという行為に潜む残酷さ。主人公のカネキの葛藤は大雑把にいえば、そこに集約されます。

一巻の『デミアン』(ヘルマン・ヘッセ)からの引用は圧巻でした。

「鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。
卵は世界だ。生まれようと欲するものは一つの世界を破壊しなければならない」


ひょんなことから人間ではないモノに生まれ変わったカネキの戸惑い、苦しみ、そして、新しい自分を受け入れる様をよく表しています。

いい機会なんで、本棚から『デミアン』ひっぱりだしてきます。

偏見に満ちた評価:★★★☆☆





Apr 28, 2013

映画『らもトリップ』



広告から文学、エッセイ、舞台、ロックと幅広く活躍しながら2004年に亡くなった中島らもの短編を東京芸大の学生が映画化。中島らも大好きなんで、みたくてたまらなかった一本。

そもそも、中島らもの作品を映像化ってめずらしいですよね。もちろん舞台はありますが。
短編三本の間には、中島らもという男と交流のあった人たちの「らも語り」。竹中直人、古田新太、大槻ケンヂなどなど濃いやつらが、思い思いに中島らもという男を語る。予想通り、否、予想をこえたぶっとんだお話の数々。らも好きにはたまらないです。

らも好きとして特にニヤッとしてしまったのがエンディング。「いいんだぜ」が流れてました。いわゆるピーなしで。やってくれてます。

とってもおなかいっぱいの一本でした。

偏見に満ちた評価:★★★★★


映画『Virginia(原題:Twixt)』



あらすじ:
オカルト作家のホールは新作のサイン会でとある町を訪れる。そこでは昔から数々の怪奇事件がおきていた。数日前にも少女が胸に杭を打たれて殺されていたのだった。ひょんなことから、ホールはオカルト好きの保安官とともに小説を書くことになるのだった。


コッポラの最新作。
モノクロに赤が映える美しい世界観はみとれてしまいました。コッポラファンだけでなく、ポー好きにもたまらない一本。今作でのポー、結構似てました。主人公の三流作家のダメっぷりもなかなか好みでした。

現実と夢が交差するかのような不思議な世界観ができあがっている一方で、すっきりしない点が残ったまま終わりを迎えます。「?」をいくつも残したままでのエンディング。ちょっと何が起こったのかわからずな状態で終わります。世界観が素晴らしいだけに、残念。



偏見に満ちた評価:★★☆☆☆


Apr 23, 2013

読書『逃げる男』あわやのぶこ



「マザコン」、「優しすぎる男」、「何を考えているのかわからない男」、「距離を保ち続ける男」、「放蕩息子」、「性の営みを避ける男」、「ネット世界に引きこもる男」

などのちょっと変わった男性との恋愛での失敗が女性目線で描かれてます。8話収録。最後に番外編的な感じで男性の言い分が収録されてます。バカな男と、そんな彼らと向き合おうと奮闘する女性。男と女。やっぱり違う生き物なんでしょうかね。赤裸々に綴られておりました。かなりの修羅場もありつつ。

「向き合う」という言葉ひとつとっても、男女で捉え方の違いがあるのかな、と。結婚エピソードがいくつかありました。結婚という形で衣食住を共にした結果、「向き合い」方の違いが顕著になっていく様。

一読者として、そんな様をのぞき見るという。おもしろかったです。同時に、「自分もそんな男のひとりなのではないか」、という笑ってもいられない感じ。女性なら、読みながらイライラしたり、はたまた笑い飛ばせるのでしょう。絶妙でした。



偏見に満ちた評価:★★★☆☆


Apr 21, 2013

映画『きっとここが帰る場所(This must be the place)』




あらすじ:
しわだらけの元ロックスターのシャイアン。メイクアップしてます。つまらなそうにまるで亡霊であるかのように暮らしていた彼。ひょんなことから長いこと疎遠だった父が亡くなりそうだと知らせを受ける。父の遺志を継ぎ旅に出るシャイアン。



ロードムービーだとは知らずに鑑賞。ショーン・ペンがこのメイクでロックスターでナチスの残党を追っかけまわすって設定だけで、即レンタル。

一応、いわゆるロードムービーだと思うのですが、旅に出るまでが結構長いです。うだうだ、ぐずぐずしてます。そんなところもなかなかよかった。

そして、この映画、登場人物のバックグラウンドとか、この人が誰で、あの人は誰、だとかの説明がほとんどないです。淡々と話は進んでいくのですが、あらゆるところでなかなかブッ飛んだシーンがありました。よかったです。タイトルはTalking headsの名曲『This must be the place』から。

偏見に満ちた評価:★★★☆☆


Apr 20, 2013

『HANNA』をみました。




あらすじ:
雪降り積もる森の中。パパと二人きりで暮らす少女のHanna。ちょっと普通じゃないトレーニングをしたり、狩りに出たりしながら平和に暮らしていたはずが、ある日を境にそんな生活が終わろうとしていた。それも彼女自身の決断で。



とくに予備知識もない、宣伝もみていない状態でみました。DVDのジャケットのみ。

僕は『LEON』とか大好きなんですが、ジャケット見た瞬間にビビっときました。そっち系だと。実際はちょっとちがいました。なんかこう、淡々としてました。それもまた好きです。

表情一つ変えずに、手にした銃でとどめをさしちゃう少女。純粋さと残虐さは表裏一体。歯止めを知らない子供という無垢な存在。

「あ、心臓はずしちゃった。しっかり息の根を止めないと。」

恐ろしいほどに冷静。

そんな彼女も、森での生活が長いので、TV、蛍光灯、シャワーなどの文明の利器にはビビっちゃう。さりげないシーンなのだけれども、納得の反応。そりゃあ、ビビるよね。なかなか印象的なシーンです。

久しぶりの映画。掘り出しものでした。


偏見に満ちた評価:★★★★☆


Apr 19, 2013

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』


発売日にamazonから郵送されてて感動。なるべく時間をかけて咀嚼しながら読みました。今回はあらすじなどは書かずに、作中にて何度も出てくるこの曲を。


期待しながら待っていたので、「読んで、がっかりすんのかなぁ」とか考えてましたが、要らぬ心配でした。十分に引き込まれてました。もっと言えば、『1Q84』よりも好みでした。


このようにツイートしたように、現在、リアルタイムで自分が作品とリンクしたのは大きかったのかなぁと。



偏見に満ちた評価:★★★★★

Apr 17, 2013

English Jam代表にインタビューしてきました。

English Jamという集まりをご存知でしょうか?

個人的に僕が立ち上げから約一年間運営をさせてもらっていた東京都を中心に活動している英語の集まりです。今回は僕が代表を退く際(今年の頭あたり)に二代目の代表をお願いした丸山くんにお話を伺ってきたので、それをかるくまとめてみました。


―それでは自己紹介からお願いします。



日本大学文理学部英文学科に通う一年の丸山雄大です。出身は長野県長野市、実家は善光寺の近くです。いまは一人暮らしをしているのですが、結構人見知りをしてしまうので、休日とかは静かな生活を送っています。友達がいないわけではないです(笑)趣味というほど熱中しているものはありませんが、休日は本を読んだり、DVDを見たり、東京散策をしています。今年の目標は、TOEFL(ITP)のスコアを600点に持っていくことで、3年次には留学したいと考えています。

―大学生活1年目を終えてみてどうですか?



学校生活は楽しくなかったですね(笑)入学当初からみなさんおちゃらけてまして、僕には合わないなと思ってました。休み時間は図書館にこもってましたね。もちろん、「みんなおちゃらけている」というのは、単なる偏見みたいなものなんですが、やっぱり大学に入学することがゴール地点だと勘違いしている人が多いと思います。もちろん遊ぶことは大切なことだし、僕も休日は自分の好きなことをしているわけですが。向上心みたいなものがひたすらないような気がしてならないんですよね。まあ、単純に「学生はひたすら勉学に励まなければいけない」なんていう、僕の考え方が古いような気もしてならないんですが。僕は、浪人生で日本大学にやってきて、やっとこ勉強の楽しさが分かった、ある意味、「学生一年生」なんでね。ただ、最近になってその考え方もいくつかの点で間違っているんじゃないか、っていうことに気づくことができたんですけどね。やっぱり単純にテレビゲームをやったり、漫画を読んだりしているだけでも見方によっては学べることはいっぱいありますし、おちろん座学でも学べることは多いですけど、参考書の文章を鵜呑みに覚えることよりも、自分で抽象的なものから考えて自分なりの考えや答えを導き出してみることは、大学生になるにあたって、もっと重要視すべき勉強の仕方なんじゃないかな、って思い改めています。


―最近の生活はどうですか?


最近は、さっき述べたことに気付かされてから、逆にベットに寝転んで海外ドラマを見たり、YOUTUBEやニコニコ動画を使って好きなもの見てますね。(笑)もちろん、本を読んだりテレビを見たりしていますが。後で詳しく述べますが、私は現在English Jamという同好会の責任者をやっているのですが、そのディスカッションの中で、はっきりとした自分の意見を考えていうのがとても難しいんですよね。というのも、いままで「考える」という作業をしてこなかったから。先も言ったように、参考書の中の言葉をそのままそっくり頭にインプットするだけの勉強の仕方しかしてきませんでしたからね。「考える」ってことは簡単ですよ。考えればいいだけですから(笑)むしろ難しいのは、それが正解かはともかく、いかに根拠に基づいた考えを導き出せるかなんです。そんなわけで最近は、できるだけ物事を深く考えるようにしています。



―どうしてサークルに入らなかったの?


大学に入ったらサークルに入る的な考え方もあると思うんですが、自分で自分を律することができないので、ダメになるなぁと思いまして入りませんでした。大学生活は楽しいので、真面目にサークル活動に打ち込んでいる人も少ないのではないかと(笑)それに、僕は、グループで固定されているのがあまり好きじゃないんです。日本ってすごい集団意識高くないですか?仲良くなったら最期、卒業まで一緒にいなきゃいけない、みたいな。もちろんグループによっては、そうでないところもあるとは思いますが、できるだけそういう可能性は消したかったんですよね。大学に入ったら、色んなことに挑戦してみたいなんて、ずっと思っていたんで、やっぱりそうゆうことをするとなると、集団で行動すると色々と制限されてしまうところもあるんでね。それに他の学科はどうかは知りませんが、英文科には入学当初からクラスがあるし、そこですでに何人かの友達がいるんで、無理に友達作りのためだけにサークルに入る必要もないんじゃないかと思いました。

―ESSはしっかりとしたサークルですが?


そうかもしれないんですが、行ってないからわかりません。でも、サークルの人に聞くと、色々な大会もあるみたいで活動は積極的みたいですけどね。僕は、「サークル」全体に対して少しの不信感を抱いているので。。。(笑)

ESS:学校のサークルや部活動の英語・英会話クラブ (English Study Society, English Speaking Society) の略称。

―English Jamってなに?


English Jamは、基本的に日本大学文理学部、中央大学多摩キャンパスを拠点に活動しています。使用する教材はT.E.Dというネット配信動画を使い、様々な題材をもとに英語ディスカッションを行う活動です。そのため、いかに自分の意見を根拠付けて発言できるかが大切です。みなさんは、普段の生活で様々な物事に疑問をもって、思考を働かせていますか?English Jamが一番大切にしているポイントは「考えること」です。ディスカッションを通して互いの考えを共有し、自分を高めていくところにあります。こういった思考は大変獲得するのは難しいと思います。先も述べたとおり、いままでの僕の勉強は参考書の中身を丸暗記することでしたので、つきつめて物事を考えることはしてきませんでした。English Jamを通して本当に学べることは、そういった点にあると思います。まだ、僕は自分の考えをまとめることができず、言葉につまってしまうことが多々あります。これは、あいまいさが許される日常会話とは異なり、いかに根拠付けた発言まで考えを高めていくことができるか、です。もちろん、こういった考え方が普段からできるようになれば色々なことに役立つと思いますし、英語会話能力はおのずと上がっていくことができます。jamは日本大学のサークルではないので、どなたでも遠慮なく参加していただくことができます。現在は、日本大学生が中心ですが、他校の大学生、留学生、先生などの協力も得て、参加していただいています。

TED(Technology Entertainment Design):アメリカのカリフォルニア州モントレーで年一回、講演会を主催しているグループのこと。TEDが主催している講演会の名称をTED Conference(テド・カンファレンス)と言い、学術・エンターテイメント・デザインなど様々な分野の人物がプレゼンテーションを行なう。


―English Jamの代表になった経緯は?


突然のメールです(笑)立ち上げ人の方からの半分一方的なご指名がありました。大学一年生で常連の参加者が僕しかいなかったので、ですかね(笑) しかし、僕が代表になることで、ある種の堅いイメージが払拭できるのではないかと思っています。参加している多くのメンバーは、英語が上手な人ですし、また様々な分野に関心を持っている方々、僕から見ればいわゆる「インテリ」な方たちだと思います。しかし、あえて僕がなることで、そんな人もいるなら参加してみようか、と思ってもらえると思います。(笑)いまの僕は、色々な意味で広告塔みたいな役割だと思っています。(笑)

―English Jamの代表って何するの?


English Jamの代表だからと言って、とくに強い権限を持っているというわけでは決してありません。むしろ雑用のようなポジションだと思っています。(笑)もちろん、基本的には、毎回の議題を用意して参加者をリードするのも役目のひとつですが、僕はそういったことがとても苦手で...現在勉強真っ最中なので、みなさんにお願いする場合もあると思います。詳しくは、参加してくれる人に日程調査アンケートを送ったり、twitterやFacebookなどのSNSでの広報活動、さらには外部のパーティーなんかに参加して、一般の方や他の大学の学生さんに参加してもらえるように回ったりだとかですかね。雑務ですよ(笑)もちろん、新しい企画も考えたりしています。個人的には、メンバー内でパーティやできれば海外旅行なんかもしたいなと思っています。

―代表として今後の抱負を。


立ち上げ人が3年生ということで(正確には現在は4年生)、多くはいま3年生が参加者のほとんどを占めています。その中で1年生が僕だけで(現在2年生)、代表として英語能力の不足から始まり、色々な問題が山積みになっており、現在消化中です。まず、代表としての抱負は、できるだけ早くいま自分が代表として抱えている問題を克服して一人前になることです。そしてJamとしての目標は、日本大学生だけではなくて、様々な人にも参加していただいて大きくしていくことです。なぜ、English Jamがサークルとして活動しないかというと、色々な方々に参加していただいて、異なる意見を求めているからです。これこそが、English Jamが同好会であるという最大のメリットであると思っているので、これをもっと最大限に活かしていけたらと思っています。


Feb 12, 2013

英語のお話

以前から英語学習について記事を書いてくれとの依頼があったので書いてみようかと思います。

一言に「英語学習」といっても難しいですよね。

・学習開始時の学習者の英語のレベル。
・学習者がどの程度のレベルを目指しているのか。
・学習者が英語学習にどの程度時間を割けるのか。

そのへんをがっつり無視して、ある程度万人に共通して有効であろう英語の勉強の仕方を書いてみようと思います。さらに言えば、あんまり勉強っぽいことはしなくていいと思ってます。

「英語書くといいよ」
"Writing", 22 November 2008
可能な限り、コンスタントに英語を書くといいと思います。日記でもいいですし、好きな本や映画の感想でもいい。そして、誰かに添削してもらうとさらに効果大です。(添削でしたらLang-8といったウェブサイトもあります。)

「そんなこといわれてもねー」ですよね。「ライティング」って簡単なことではないです。コンスタントに書けるレベルになるだけでも一苦労です。
ではそのために何をすればいいのか。

「英語読むといいよ」
reading
書けるようになるにはどうすればいいか。当たり前ですが、頭の中にある程度のインプットがないとアウトプットできません。そのために「読む」わけです。読むことで、よくでてくる表現や便利な表現は必然的に頭に入るわけです。

「英語聞くといいよ」
Listening to Music on the Train
「英語読むってきつい。」ってな場合には、とりあえず英語を「聞き」ましょう。これも要はインプットなんです。海外ドラマでもいいし、映画でもいいんですが、①.日本語字幕付きでみる。②.英語字幕付きで見る。③.字幕なしで見る(聞き取れなかった箇所は巻き戻しつつ)。④.字幕なしで通してみる。

最終的に「コンスタントに書く」ことを目指してほしいです。なぜでしょうか。「英語が書ける」ようになるために必要なスキルが「話す」であったり「読む」行為とつながっていると思うからです。まぁ「書く」ために「読む」、「聞く」も行うわけですから当然なのですが。

こんな感じでいいですかね。大雑把に書いたので、詳細はまた別の機会に書きます。