Apr 8, 2012
リア充を考える
「リア充」、「非リア充」という言葉。
ときに差別的であったり、ときには仲間であることの承認のために使われていますよね。
そんな言葉について少し考えてみたいと思います。
まず、一般的にどんな人が「リア充」(もしくは「非リア充」)とよばれるのでしょうか。
なにが両者をわけるのでしょうか。
僕が日常生活での会話やTwitterを通してよくきくのは以下の3つのようなポイントです。
「リア充」と「非リア充」をわける要因
①彼女/彼氏の有無。
②多くの友人をもっているのかどうか。
どうでしょうか。この2つの条件のどちらか、もしくは両方を満たせば「リア充」で、そうでなければ「非リア充」になるというのが一般的な認識だと思います。しかし、僕はどうもこういった認識にどうも違和感を覚えます。
もともとは「リア充」という言葉は「リアルライフが充実している」という意味ですよね。
だとするならば、本質的には①も②も「リアルライフが充実している」状態の一部であっても、充実している理由としては十分ではないような気がします。
では、一体、何をして「リア充」とするのか。
「リアルライフが充実している」状態とは、「自分がやりたいことをやっているのか」、だと思います。つまり、なんらかの目標や夢をもってそれに向かう人こそが本質的な意味での「リア充」といえるはずです。なので、たとえ①や②の条件を満たしている人(一般的にリア充と言われる人)でも、なにか追い求めるものがない限りは本来の「リア充」ではないといえるのではないでしょうか。①や②といった条件は、本質的な意味での「リア充」かどうかにはあまり関係がないと思います。
「リア充」=「自分が本当にやりたいことをやっている人」
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